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吹野あゆ子のパーソナルストーリー

【内向的だった幼少時代】

東京の多摩地区に生まれ、昭和の典型的な家庭の中で育ちました。
父が釣り好き、中でも鮎釣りが大好きだったことから「あゆ子」と名付けられ、
後に「激しい流れにも負けずに育ってほしい」という願いが込められたのだと聴きました。

幼少期は仲間外れにされることがあるほど、内向的な子供でした。
幼稚園に上がる頃には少しは社交性を身に着けていましたが、お友達と遊ぶより「先生と文通」をすることが好きで、毎日担任の先生に手紙を書いていたそうです。

【エディターの目覚めと文学への傾倒】

父が高校の教員をしている影響もあったのかもしれません。
小学校時代のお気に入りの遊びは「学校ごっこ」。先生役と生徒役に分かれ、先生役の際には様々なレクチャーをするのです。
小さな黒板を用意して授業もどきをしたのを覚えています。

また、当時は録画機能もなかったので、テレビの音をカセットテープにとって文字起こしをし、クラスメイトとアフレコをしたこともありました。漫画や小説を書いては、クラスに回覧し満足していました。自分の内的世界を外に出すのが好きな子供だったのです。思えば変わった子供でした。

中学では優等生で、よく学級委員をしていました。
何でもこなせる「手がかからない生徒」だったと思います。
ただ、いつも「自分がどのように見られているのか」「ニコニコしながら本当は私を嫌っているのではないか」と疑心暗鬼になっていたのも、肉親の死に初めて触れたのもこの時期でした。

器用故に疲れてしまい、文学に救いを求めて夏目漱石や太宰や三島に傾倒していきました。

【出版社への就職と生きづらさ】

「小説家になるには出版社に就職するのがてっとり早い」
その青写真通り、大学では国文科に入り、苦労して出版社に入ったものの3年弱で離脱。同時期に結婚・出産も経験しましたが、結婚生活はわずか3年で幕を閉じることになりました(話すと長くなってしまうので割愛します(笑))。

「優等生でそつなく生きてきたはずなのに・・・・うまくいかない。頑張っているのに」

離婚後一人で子供を育てるにあたり、パソコンインストラクターの仕事をしていました。ちょうどインストラクターの需要も高かった時期でしたが、年々仕事は減っていきました。
そんな折、仕事で訪れたある職業訓練校において
「先生、これから先何をしたら良いか分からないんです」と切実な言葉をいただきました。
私はパソコン講師に過ぎなかったので、その時は何を言えば良いか分からず、ただただ返答に困ったことを覚えています。
そんな時、キャリアカウンセラーの資格に出会ったのです。

【キャリアカウンセラーとして】

キャリアCareerとは仕事だけでなく人生そのもの。人生を自分で選択していく。
それを支援する資格を取得することで、迷っている人達に向き合えるのではないかと考えました。
他人の顔色を気にする自分自身にも「人生を自分で選択していく」という言葉が刺さりました。
何故なら、その時の私は「自分で人生を選択している」とは言えなかったからなのです。

キャリアカウンセラーの資格を知り、
教員免許も取得し、教育の世界に興味を持っていた私は「学生のキャリア支援」にも携わりたいと、その資格取得を目指しました。

そして、苦労して資格を取得後、念願の大学支援の現場に行くことになりました。

資格を取り、キャリアの仕事にも就いて順風満帆に見えるかもしれませんが、大学支援の現場では
毎回自分の不甲斐なさに涙を流しました。(【私にとってのNLP】参照)、
「まだまだ経験が足りないのではないか?」
そこで私は大学だけでなく行政、企業、様々な仕事に応募し続け、現場経験を積み重ねました。

しかし「一通りの経験を積んだ」と思った頃には
専門性のない自分に対して「結局私って何屋なのか?」と疑問を持つようになっていました。

【キャリアコンサルタントの課題とNLPへの歩み】

キャリアコンサルタント養成の仕事にも携わりました。
資格を目指す方に「キャリア支援の現場での話」を伝えることに意味を感じ、
かれこれ10年途切れることなく1000人以上の方の育成に関わることができました。

しかし、また同じようなことが起りました。
パソコンインストラクター時代に職業訓練校で言われた言葉の続きかと思うセリフが聞こえたのです。
「先生、資格をとっても仕事がないんです」
何人からその言葉を聞いたか分かりません。

キャリアコンサルタントになろうという方は「人のために何か役に立ちたい」という純粋な想いを持っている方ばかりです。その思いを形にできないまま「資格を更新しませんでした」と教えてくれる方もいました。
そんな声を聞くたびに申し訳ない気持ちを蓄積させていきました。
「資格をとっても、その仕事に就けない人を増やしていいのだろうか?」
自分の中の問いに抗えず、育成の仕事を辞めました。

「私に何ができるのか?」

キャリア支援で悩んだ際にNLPを学び始め、以来ずっと学び続けてきたのも、現場で活かすため。そして「卒業生の役に立てるのではないか」という思うもあったのです。
だからNLPを教える立場にまでなろう、とトレーナー資格まで苦労して手に入れたのです。

そして
私自身
「何でも屋」になってしまい「私らしさ」を見いだすことができず、自分のキャリアコンサルタントとしての存在価値に悩んだ経験から

「私とは何者?」
「私はどのように呼ばれたいのか?」を突き詰めて考える必要性があると痛感しました。
そこでブランディングの考え、学びに出会ったのです。

【パーソナルブランディングの使命と展望】

私が学び続けてきたのは、
キャリアコンサルタントの卒業生の方達との出会いから
皆さんに「私は〇〇」と自信を持って伝え、周囲からもそのように呼ばれる支援者になってほしいから。
そのために自分を正しく知り、上手にその魅力をアウトプットする必要があると感じたのです。
まさにその考えがパーソナル・ブランディングだったのです。

では、吹野あゆ子自身はどのように呼ばれたいのか?

「キャリアコンサルタントのストーリー・コンテンツ作成のパイオニアと呼ばれる」
これが今私が皆さんに約束したいことです。

このホームページにも書いているように「自分が大好きでなくてもいい。しかし、自分て、そんなに悪くない」そう感じる人を増やすことがこの考えの根底にあります。

周りの顔色ばかり窺ってきた、そんな自分が好きではなかったから、
「自分のことをそんなに悪くない」と思えるだけで、人生の彩が変わることを私は知っています。
だから自分も含めてそんな人を増やしたい。そんな思いが常に私の中に流れているのです。
「そんなに悪くない私、そんな私のパーソナルストーリー」それを私は一緒に創りたいのです。

そして
・大学・企業・行政・個人支援 様々な領域で支援をしてきた経験
・脳の取り扱い説明書とも呼ばれるNLPを学び続けてきた経験
・編集者として言葉を紡いできた経験
・キャリアコンサルタントとして数千人の強みを引き出してきた経験
があるから

皆さんの強みやオリジナリティを引き出し
オリジナルストーリー・コンテンツにしていくことができるのです。

「私はなぜ経験を重ね学び続けてきたのだろう?」

このように問われたら、
「これまで出会ってきた方達や今後支援をしていきたいと考えるキャリコンの皆さんへの恩返しをしたいから」
今は自信をもってこのように答えます。

キャリアコンサルタントやコーチの方、
自分らしいコンテンツを身に着けて「自分を上手に表現したい」という方、
一緒に「あなたらしいストーリー」を作りませんか?